建物は、中央で若干くの字に折れており、中央に階段と洗面所やトイレ等があった。 長い廊下の向こうに、向かって左端から一号室、それが四号室(寮長室)へと続き、集会室を挟んで五号室(副寮長室)から九号室と並んでいた。 学期ごとに部屋は変わる。 一部屋三人か四人で必ず三学年全てが同室する。自分の一学期の部屋は五号室だった。 部屋長の山崎さん、副寮長の廣芝さん、二年生の佐久間さん、そして自分の四人部屋だった。 入学したての私はほんとに田舎者丸出しだったと思う。少し大きめの学生服に革のベルトを締め、真新しい革靴、その上、中学を卒業後の5分刈り頭(身だしなみだと思っていた)どこから見ても田舎者である。 私の他の部屋っ子には、井原(北海道)堀(大分)前田(東京)渡辺(東京)大上(三重)豊福(千葉)地主(三重)藤原(岡山)石倉(東京)川上(長野)松本(千葉)らがいた。(間違ってないかな?)
私と同じ徳島出身者もかなりおり、入試の時、県人会を開いて歓迎してくれた。 そこで、寮務助手の一人がタイチさんという小松島出身の人だと知った。 入学してすぐオカマン(徳島からのもう一人の新入生)と連れ立ってタイチさんに挨拶に行った。 そこに、3年生らしい先輩がやってきて、 「タイチさん、今日ユウレイは、どうしますか?」「いつも通りあるぞ。」 これに近い会話が交わされた。私は「ユウレイって何ですか?」そう質問した。 「すぐ判るよ」タイチさんはそう答え、さらに「そこの黒板に何て書いてある?」と聞いた。 『泰地さん○◇△◇□▽』と書かれていた。「ヤスジさん○◇△◇□▽」と書いてあります。私は答えた。 これが私の部屋っ子時代、最初のチョンボだ。 夕方集会室に寮生全員が集まった。 真ん中に机を前にして週番の部屋長が、その両側に、寮長、副寮長が座った。 これが夕礼だった。字を見ると納得である。
部屋っ子から後ろの上級生の顔は見えない。そう、見えないのである。 この時間に連絡事項や行事の打ち合わせ、今週の目標などが話し合われる。 今週の目標は『■円の親孝行』『挨拶をしよう』なんてのがあったと思う。 『■円の親孝行』というのはもちろん手紙を出そう、と言うことだが、その当時葉書がいくらだったかなどとっくに忘れてしまった。 しかし、部屋っ子達にとって最も脅威だったのは生活の心得の暗唱だった。入学後、しばらくの猶予はあったが、一人ずつ順番に回ってきた。 内容は『ひとつ 朝夕神仏を礼拝し、父母祖先、恩人に感謝すること』 『ふたつ 朝の挨拶は出会い頭にこれをなし、これをなさば以後別に改まって正式にする必要なし』 他には『? 入浴の祭は身体を良く洗い、しかる後に暖まるために浴槽に入ること』 『? 上長の命令に対してはプロンプトなること』何てのまであった。全部で、20位だったように記憶している。 この"プロンプト"って云うのが曲者で、先輩の命令を即実行、絶対服従の意味であると先輩達は解釈していた。 お陰で、3階の窓から飛び降りる部屋っ子までいた。
かなりの数があり、なかには詩吟まであるのには閉口した。 「ばんこんさくせつ〜なおそんすといえども〜〜オ」 元々の節はどんなものであったのだろうか?伝言ゲームに近い変わりようの様な気がするのだが・・・・・ その当時、校歌はまだ無く、最も校歌に近い存在が『暁鐘』だった。 「波打つ丘陵 風さえも 梢に薫る葛飾や・・・」 先日長い空白の後に、同窓会で謳ったが覚えているもんだ。
引き戸を開けると目の前に中仕切りがあり、5番室は左が自習室、右手が寝室になっていた。 勉強机の上の本棚、小振りな押し入れ、ベット(ベニヤ板の上に直に布団)上の棚、ベットの下の引き出し、これが個人の持ち物を入れる場所だった。 夕礼が終わると自習時間で、まるで図書館で勉強している様な雰囲気だ。 この部屋は六寮でも(私という例外を除いては)かなりまともに勉強していた部屋だったと思う。 部屋長は東京商船大学、副寮長は神戸大学、佐久間さんは確か大阪大学へ進学されたはずだ。 9時になるとまた鐘が鳴った。夕礼の時を加えて、1日三回鐘は鳴った。 点呼である。全員廊下に整列する
休日には外泊も許されていたが、寮担任へ書類を提出しなくてはならなかった。 点呼までに帰る場合は、外出届だ。 私も中野で叔母が喫茶店を開いていたので、時々訪れたり、都内に買い物に出かけた。 点呼で私が苦手のするものがあった。申し送りだ。 掃除当番の場所を申し送っていくのである。 「1番玄関2番外回り」「2番外回り3番便所」「3番便所4番集会室」・・・・・・・ こうして明日当番の所と今日の当番だった所を大きな声で叫ぶのだ。 私はまず呂律が回らず失敗するか、ど忘れしてしまうか、この時間になるとドキドキした。
点呼が終わると休憩時間だったがその時間を妥協時間と呼んでいた。 勉強を適当なところで切り上げるという意味だろう。 時間がくると部屋っ子達は湯沸かし器の前に並んだ。 大きな湯沸かし器は沸騰寸前のお湯を作ることができるのだが、何人もが続けてポットに注ぐと 80℃位まで下がってしまう。特にインスタントラーメンに使うお湯の温度は高いほど望ましい。 要領の悪い者は余計な時間が必要である。 男子寮では火を使う設備と言えばこの1台しかない湯沸かし器だけだった。 月いくらかの部屋費を出し合って、公団のなかの店でコーヒーやお菓子を買ってきた。 コーヒーを入れるのも部屋っ子の仕事だ。各人の好みを知っておかないといけない。 部屋中の佐久間さんは注文が特別うるさかった。 ネスカフェを大匙で山盛り2杯、クリープや砂糖も山盛り、濃厚な味を好まれた。 佐久間さんお元気でしょうか?健康には注意して下さいよ。 空腹が満たされる事が最も優先される部屋もあった。 彼らにとって東門脇の山崎パンのおばちゃんは天使に見えた。 パンの耳が一杯に詰まった袋をもらえるからである。 |
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