部屋っ子物語-其の参-
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ちなみに寮長は『りょうすけ』だ。 寮全体での立場は別として部屋での代表者は部屋長である。 1学期の私の部屋長は山崎さんと言って東京出身の方だった。 彼の目には私の田舎臭さは特別疎ましかったことだろう。 私はこの部屋で特別苛められたという記憶はないが、悪気が無くても苛めに近いことはおこる。 関東の人にとって納豆は日常の食生活に溶け込んでいるようだが、四国の田舎では納豆を食べる習慣はない。 食事は好みによって選択出来るようになっていた。 朝食はパン食か和食だ。いつも私は納豆を素通りして朝食を取っていた。 和食を選んだ私のお盆に納豆がない事に部屋長が気付いた。納豆をパンに挟んで食べろと云う。 現在の私は納豆が好きだ。他のものも割と好き嫌いなく食べる。 しかし高校時代の私は、初めて"ドリアン"を口にしたときと同じくらい勘弁して欲しかった。
部屋長たちが後ろで揉め始めた。部屋っ子達は後ろの様子を見ることができない。 固唾を飲んで成り行きに耳を傾けていた。 早期強行を主張する派と延期を主張する派に別れて揉めていた。 やがて取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。 相変わらず後ろを振り返ることさえ許されない緊迫した雰囲気が漂っていた。 部屋っ子達はただ亀のように身を縮めていた。 とりあえずその場は延期派優勢で夕礼が終わった。
その中に、『遠歩き』強行派の河野先輩(河野水軍の末裔らしい)がいた。 「付いてこい!」 今から『遠歩き』に行くんだ。私の内に瞬時に緊張が走った。 先輩の後を数人で付いていくと空手道場に着いた。 そこには他の部屋っ子達も緊張した面もちで座っていた。 訳も分からず顔を見合わせていると先輩が学園内の地図を拡げ、ここを歩いてこいと命じた。 そこにはここ一週間位、妥協時間になると先輩達が代わる代わるやって来ては繰り広げた『学校の花子さん』の 物語の舞台が並んでいた。貴賓館の床下を通り、納骨堂、土民の森、蛇神社、血流れ坂へと続くコースだ。
ただ、所々で先輩達が待ちかまえていて、爆竹を鳴らして驚かしたり問題を出した。 納骨堂の前では生の牛骨が置いてあり、それを舐めろと命じられたり、別の場所では正露丸を食べろと命じられた。 また、蛇神社の周りを回れと書かれていたので、その通りにすると、内で待ち伏せていた先輩が大きな物音をたてた。 また、あるところでは故郷の方に向かって叫ばされたりもした。 一周して寮に戻ると寮務主任の河合先生が軽食堂で暖かい物を準備して待っていてくれた。 肉うどんだったかな? 全員けが人もなく、帰ってきたが地主だけは正露丸を12粒飲んだとかで真っ青な顔をしていた。 この試胆会は学園の周りの住宅化に伴い苦情が来て、我々が最後の犠牲者となってしまった。 私には楽しい思い出の方が残っている。今では先輩方の苦労が微笑ましくさえある。
野田のスポーツ公園、上野公園、成田さんが目的地だった。 寮のある柏からの距離で云うと上野までで25km、成田さん迄だと55kmにもなる。 野田くらいだとピクニック気分だ。たしか女子寮と合同だったと思う。 このような場合、寮長が先方の寮長に申し込む。一緒に行ったからといって何の記憶にも残っていない。 どんな時間の過ごし方をしたのか今となってはすっかり忘れてしまった。 覚えていることといえば、朝早起きして食堂に行き、弁当を自分たちで作ったことぐらいである。 とは言っても食堂の方達が準備してくれたのを詰めただけだったような気もするが・・・・ しかし、成田さんは遠かった。55kmの距離を歩くとなると随分時間がかかる。 朝3時に起床して、11時か1時頃到着した。(随分記憶が曖昧である。) 私の部屋の部屋長は真面目な方だったので、完歩したが、別の部屋は後から出発して我々が着いた頃には既に退屈そうだった。その訳は訊くだけ野暮である。 成田まで辿り着き、歩き終えたとき妙な満足感があったことを記憶している。 今ならきっと2、3日は寝込むだろう。
群馬県谷川岳にも研修施設があり、新入生達はそこで研修を受けた。 1学期にバスをチャーターして谷川まで出かけるのである。 残念ながらそこでの想い出はぬるいお湯、ぬるぬると黒光りする桧の浴槽、それに蟻地獄くらいしか無い。 飽きるほどバスに乗っていたことも思い出すが・・・・ その後、岐阜の瑞浪市にある姉妹校が、谷川に向かう途中で柏に立ち寄った。 彼らの行程を想像して、我々の方がよっぽど楽だったんだと思った。 全国から集まっている寮生達にとって修学旅行は3年間一度もない。 代わりに教師が主催するツアーが各休み前に掲示板に貼り出された。 谷川温泉に宿泊してスキー講習なんてのもあれば、日本各地を旅行するプランが計画された。 私は残念ながら一回も参加しなかった。参加した連中の話を聞くと悔やまれてならない。
大講堂は正門の少し西側の木漏れ日のなかに立っていた。 正面の玄関以外に建物の東側にも下駄箱と入り口があり、一度にたくさんの人を飲み込みやすくなっていた。 なかはだだっ広く明かりがついても薄暗く感じた。 傾斜の付いた内部に大学の教室のような椅子付きの机が据え付けられている。玄関正面には神棚が祀られていた。 時間がくると当番の三年生が神棚の前に立ち、二礼二拍手一礼の御神拝の後、宣誓文を読み上げた。 「大神様の御前に恭しく真心を告白し奉ります。我々は今日まで全く利己的な本能にのみ囚われ、過失罪悪の内に生活し、また例え他人のために働く場合にも・・・・・・・」 ここでいう"神"とは特定の神を現していない。私たち人間が生きるこの世界に普遍的に存在する自然の摂理、真理に謙虚な気持ちになることを誓うのである。 とは云っても宗教臭いと思う。 誰が見ても思う。そこで三年も生活すると、ごく普通の日常になってしまうのだが・・・・ |
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