野田のスポーツ公園、上野公園、成田さんが目的地だった。 寮のある柏からの距離で云うと上野までで25km、成田さん迄だと55kmにもなる。 野田くらいだとピクニック気分だ。たしか女子寮と合同だったと思う。 このような場合、寮長が先方の寮長に申し込む。一緒に行ったからといって何の記憶にも残っていない。 どんな時間の過ごし方をしたのか今となってはすっかり忘れてしまった。 覚えていることといえば、朝早起きして食堂に行き、弁当を自分たちで作ったことぐらいである。 とは言っても食堂の方達が準備してくれたのを詰めただけだったような気もするが・・・・ しかし、成田さんは遠かった。55kmの距離を歩くとなると随分時間がかかる。 朝3時に起床して、11時か1時頃到着した。(随分記憶が曖昧である。) 私の部屋の部屋長は真面目な方だったので、完歩したが、別の部屋は後から出発して我々が着いた頃には既に退屈そうだった。 その訳は訊くだけ野暮である。 成田まで辿り着き、歩き終えたとき妙な満足感があったことを記憶している。 今ならきっと2、3日は寝込むだろう。
群馬県谷川岳にも研修施設があり、新入生達はそこで研修を受けた。 1学期にバスをチャーターして谷川まで出かけるのである。 残念ながらそこでの想い出はぬるいお湯、ぬるぬると黒光りする桧の浴槽、それに蟻地獄くらいしか無い。 飽きるほどバスに乗っていたことも思い出すが・・・・ その後、岐阜の瑞浪市にある姉妹校が、谷川に向かう途中で柏に立ち寄った。 彼らの行程を想像して、我々の方がよっぽど楽だったんだと思った。 全国から集まっている寮生達にとって修学旅行は3年間一度もない。 代わりに教師が主催するツアーが各休み前に掲示板に貼り出された。 谷川温泉に宿泊してスキー講習なんてのもあれば、日本各地を旅行するプランが計画された。 私は残念ながら一回も参加しなかった。参加した連中の話を聞くと悔やまれてならない。
大講堂は正門の少し西側の木漏れ日のなかに立っていた。 正面の玄関以外に建物の東側にも下駄箱と入り口があり、一度にたくさんの人を飲み込みやすくなっていた。 なかはだだっ広く明かりがついても薄暗く感じた。 傾斜の付いた内部に大学の教室のような椅子付きの机が据え付けられている。玄関正面には神棚が祀られていた。 時間がくると当番の三年生が神棚の前に立ち、二礼二拍手一礼の御神拝の後、宣誓文を読み上げた。 「大神様の御前に恭しく真心を告白し奉ります。我々は今日まで全く利己的な本能にのみ囚われ、過失罪悪の内に生活し、また例え他人のために働く場合にも・・・・・・・」 ここでいう"神"とは特定の神を現していない。私たち人間が生きるこの世界に普遍的に存在する自然の摂理、真理に謙虚な気持ちになることを誓うのである。 とは云っても宗教臭いと思う。 誰が見ても思う。そこで三年も生活すると、ごく普通の日常になってしまうのだが・・・・
その日を伝統祭と云った。 寮生の楽しみは食い物だ。親元から届く小荷物にはチキンラーメンやお菓子が必ず入っていた。 しかし、伝統祭は特別だった。 全国からやってくるたくさんの人達が差し入れを持ってきてくれたり、お小遣いをくれたり、食事を奢ってくれた。 伝統祭の後、暫くは保存食の備蓄で腹を空かす心配がなかった。 ただ寝具の準備や大掃除、当日の荷物持ちや案内のボランティアには高校生が総動員で駆り出されはしたが・・・・・
どんなことをやったかは鮮明に覚えているのだが、月に何度くらいあったのか、どういう運営方法だったか記憶が定かでない。(記憶している方、Mailお待ちしてます。) ただ狭い部屋に寮全体が移動してきて特別な活気に包まれたことは忘れられない。 寝室は両脇に幅1m位のベットが2つ続きであり、中央に少しばかりのスペースがあった。 そこには備品の折り畳みのテーブルがある。突き当たりには手摺りだけが付いた窓があった。 寝室部分だけだと8畳程であっただろうか。 そこに20数名の全寮生が集合し、3年生はベットか窓の手摺りに腰掛け、その他の者達はベットの後ろ側で膝を抱えたりして、自分の居場所を懸命に確保していた。 もっとも部屋っ子達には飲み物や食べ物の給仕や出し物で大忙しだったが・・・・ 誕生会の主役であれば部屋っ子であっても座っていられたと思う。 その日は決まって山崎パンのロールケーキが用意された。 その理由は値段が安かったことと均一に切りやすかったからだ。 誕生会の日はその狭い部屋が最も有効に使われた日だろう。
唄を歌うだけではうけない。 部屋と廊下の間には顔が出る高さくらいに小さな窓があった。 誕生会になるとその窓ガラスは取り外され、その中から顔を出してTVに見立てたり、ギターを弾いたり、部屋っ子各自が出し物を用意した。 私は専らアニメソングで誤魔化していた。ひょっこりひょうたん島を振りを付けて歌ったり、煎餅をかじって三日月にして月光仮面走るポーズでエイトマン(話しが古くてどうも済みません。m(_ _)m) しかし、最も受けるのは春歌だった。伝統の春歌があるのだ。今となっては人前ではご披露できない。 OB誰もが覚えているとなると『日立のエレベーター』であろう。日本国中に似たような替え歌があると思うが、こんな歌を平気で合唱する高校生となると我々ぐらいだったかもしれない。 しかも他寮の3年生でそれを弾き語りで聴かせる歌にした方がおられたが、あの時の印象も鮮烈だった。
それに、アニメソング以外の持ち歌も覚えることができた。それが『屁の歌』である。 誰に教わったのかいつ覚えたのかも忘れてしまったが高校卒業後も飲み会等があると歌った。 「ひとつ 一人でするのを単独おならと申します プッカプ 遠慮要りません プッカプ♪」 「ふたつ 風呂でするのを水中おならと申します プッカプ お湯が濁ります プッカプ♪」 「みっつ みんなでするのを行列おならと申します プッカプ 塀が倒れます プッカプ♪」 「よっつ よそでするのをよそ行きおならと申します プッカプ 音が致しません プッカプ♪」 「いつつ いつもするのを常習おならと申します プッカプ 開きっぱなしです プッカプ♪」 全くお馬鹿な歌である。この調子で10番まで続くのだから・・・・・・ [続き] |
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