高校の空手部は大学と同じ道場で練習していたので、かなりレベルが高かった。 応援はその空手の型を教わった。数名が応援要員として型を練習して当日に備えた。 体育祭の目玉は騎馬戦だ。かなり過激だったので毎度、廃止が検討されていたようだ。 今はどうなっているだろう。 運動場は関東ローム層の赤土で運動すると鼻の穴まで細かな土埃にまみれてしまった。 文化祭についてはたいして記憶していない。当時流行のタイムカプセルとやらを校舎の庭に埋めたように思うのだが、その後どうなった事やら・・・・・・・ 日本国中で同じ様な事が起こっていると思う。貴方、覚えがありませんか?
仮に、我が寮の寮長と24寮(女子寮)の副寮長が相思相愛だとなると、お節介な三年生達が寮長を布団蒸しにして戸板の上に載せ、女子寮まで、御輿のように担いでいく。 私が三年の時にはあまりその手の噂が無く実際に参加したことはないが、私が部屋っ子の時には実際に戸板に載せられたて女子寮先輩まで連れていかれた先輩(匿名)がいた。 話では女子寮に到着すると口上が述べられ、女子寮の前に捨て置かれる。 その時、目当ての相手が助けてくれれば「めでたし、めでたし」なのだが、それが噂だと・・・・・・・・ 大抵はハッピーエンドに終わる。 そのせいか我が校OBには、同級生同士のカップルが割と多い。
2学期は部屋長の西村さん、二年生の加藤さんの3人部屋であった。 私たちの六寮の階下には五寮があるが、丁度真下の部屋が部屋長と仲の良い青木さんの部屋だった。 妥協時間ともなると窓伝いに移動して、お互いの部屋に行き来する。 たいがい二年生は他の部屋に遊びに行ったりして、別行動を取ることが多かった。 だが、我々部屋っ子は部屋長の金魚の糞である。 青木さんの部屋は大阪出身の今田が部屋っ子だった。 ある日部屋長達と買い出しに出かけた。 買ったのは工業用アルコール、Sマーガリン、マグロのフレークと鯖の味噌煮の缶詰、そして米だった。 その時私が体験した『イーティング』の方法を披露しよう。まず、釜の代わりにアルミの洗面器の登場である。 これで驚いちゃいけない。レンジはネスカフェの蓋を使った。当時はまだ蓋が金属だった。 これに工業用アルコールを入れ、ジュースの空き缶を四隅に置いただけという代物だ。 洗面器で米を研ぎ、水加減はいい塩梅に準備を整える。
そうじゃありませんか、皆さん? この当時、些細な事が、禁止事項だとすっごく楽しかったんです。 工業用アルコールは簡単に蒼白い火がつき、少年誌が重し代わりに置かれ、ゆっくりとご飯が炊きあがる。
そこにはバス停があり、商店が疎らに並んでいた。 その門は鉄格子の扉がいつも閉まっており、滅多に開くことがなかった。 普段の出入りは潜り戸があるので事足りており、用のない車の進入を制限しているのだった。 お陰で、園内は歩行者優先で滅多に車と擦れ違うこともない。 門の脇には守衛室があり、生徒が出入りの際には挨拶を交わした。 門を出て右に行くと、すぐペコちゃん人形の飾られた『山崎パン』があり、先に行くと本屋の『多田屋』がある。 この店には随分立ち読みでお世話になった。スーパーマーケット等はかなり先へ行かないと無かった。 飲食店に行くときもこちら側へ行った。 といっても中華料理店『萬里』で炒飯だけをオーダーするぐらいだが・・・・・ 道の向こうへ渡ると公団住宅が広がっていた。 門の左側へ行くと少し離れて幾つかのテナントが軒を連ねていた。 道を渡って『マツモトキヨシ』や乾物屋さんが入った建物が公団に寄り添うようにある。 この乾物屋さんの奥さんは北海道の出身らしかった。 ある部屋っ子が部屋長に命じられて、その店に買い物にいって、こう注文した。「ヘッペの缶詰下さい。」 「買ってこいと云った本人に来らせな!そしたら売ってやるよ。」 その部屋っ子は訳が分からないまま部屋長にそう伝えた。
しかも周りは木製の高い塀に囲まれている。寮風にも男女で大きな違いがあった。 女子寮は21、22、23、24寮の4つだったと思う。 女子寮では部屋っ子は「・・・ちゃん」とニックネームで呼ばれ、食べ物も自分たちで料理する。 しかも上級生主導でだ。先輩の顎で使われる男子部屋っ子とは雲泥の差だ。 お陰で、女子は幸せ太りしていた。我々男子がやせ細っているというのに・・・・ まア、それは冗談としても境遇の違いは大きかった。 女子寮の横の道は栗の木の並木だった。大きくて甘い実が懐かしい。 女子寮の門の反対側には大浴場があった。その裏にある首塚は曰くありげだった。 そして門から校舎の裏手がすぐそこに見えた。
朝、パンと牛乳が配られる。それだけでは高校生のお腹が満たされるはずもなく、公団の中の飲食店や別館で空腹を癒した。 他にも空腹を満たす方法は幾つかあるが、学園内に点在する教職員のお宅にお邪魔してご厚意に甘える事もしばしばあった。 人気のある先生のお宅は日曜日の昼飯時ともなると、生徒達の訪問で賑わった。 河合先生のお宅などはご馳走を用意していただけるので部屋長に連れて行ってもらった我々は幸運だった。 実は『住宅訪問』には別の意味があって、先生方の体験談や勉強された内容を講話していただくというのが本来の目的のようである。 実際、他の部屋ではそのような解釈をしていた。 足に痺れを切らすか、おいしい物を腹一杯食べるか、どちらが月曜日を気持ちよく迎えられるだろうか? |
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