壁にナイフや箸を投げ、それらが器用に刺さるのだから・・・・ その部屋長は部屋っ子達にとって恐怖の的だった。部屋っ子を的にして、ナイフを投げるのだ。 サーカスで人間を回転板に縛り付け、その周りにナイフが見事に刺さっていくのをご覧になったことがあるだろう。 あの要領である。ある時、部屋っ子Kがコーヒーを入れ、それを盆に入れて運ぼうとしていると、「部屋っ子!」 その声で顔を上げると同時にナイフが飛んできた。Kは驚いて、お盆の上のコーヒーを恐怖の部屋長にかけてしまった。 また別の部屋長は筋肉マンで、体力自慢であった。部屋っ子は生きたサンドバックである。 と言っても直接殴ったりするわけではない。布団や枕をしっかり持っている。 しかし、その部屋長のパワーが爆発するとベットの上を飛び越え、壁まで吹っ飛んでしまう。 話は変わるが先輩達のエピソードには事欠かない。ある他寮の先輩は腐った牛乳を飲んで何ともなかった。 しかし、その伝説に挑んだ1級先輩は見事に腹を壊した。
三年生が卒業していく日が近づくと寮内がどこか浮き足立ってきた。 一般の高校では起こり得ないことだろう。 上級生と下級生がこれだけ密な関係を保つのはどこか体育会系のノリである。 卒業式までの時間はあっという間にやってきた。 卒業式の日の食事は、一年を通して最も豪華だった。 卒業生の父兄を迎え、最高級の霜降りの肉が並び、すき焼きが振る舞われる。 部屋長達は自分たちの使った品物を下級生達に記念に配った。 下級生達はお世話になった先輩を訪ね、別れの挨拶をした。 やがて卒業式が過ぎ、部屋長に格上げになった二年生と部屋っ子達だけが残った。
部屋っ子の使い方も"何でもあり"だ。肩揉め、腰揉め、何時に起こせ、とテレホーダイ状態だ。 それまでの部屋長と部屋っ子には特別な信頼関係があった。 どちらかと云えば部屋中は居候状態で、自由もある代わりに権限もなく、部屋っ子との関係は単なる先輩、後輩でしかなかった。 それが部屋長の卒業で突然権限ができたものだから元部屋中さん舞い上がってしまった。 もしかすると彼の場合、三年生になってもそのままだったかもしれないが・・・ しかし清和は要領が良かった。タイミング良く他の部屋や集会室に出かけ、お陰で私は肩もみが上手になった。 試験期間まで、その調子だったのには参ったが、どのみち大して勉強はしなかったとは思う。 他の部屋でも大なり小なり同じ様な状況であったようだ。
その当時の尖った高校生のファッションはボンタン全盛期で、髪型はリーゼントかパンチパーマだった。 洗面所にドライヤーと鏡があったが、登校前にはそこに貼り付いて髪を撫でつけているメンバーがどの寮にも必ずいた。 勉強部屋の本棚には男性化粧品が所狭しと並んでおり、大切なコレクションのようであった。 NとYの部屋の俄部屋長の本棚にも、四角い瓶の化粧品が並んでいた。琥珀色の中身の奴である。 NとYの逆襲はやられた当人には申し訳ないが、格好悪くて情けない。貴重な中身を小便と入れ替えられてしまったのだから・・・・・ やられた事に当然気付き、犯人探しが始まり、ほどなくNとYの犯行であることがばれてしまった。 説教部屋で俄部屋長達に、こっぴどくお仕置きされた事は言うまでもない。 ばれてしまった理由が別の部屋っ子がチクったという噂を聞いたが、事実かどうか私は知らない。
私は同じ二号館の六寮から五寮への移動だったので、階を一つ下りるだけだった。 集まったメンバーで二年間かけてチームを作っていくことになる。 二、三年生は同じ寮で過ごすので、ここでこれからの二年間の仲間との対面である。メンバーは有元(兵庫)石倉(東京)川島(千葉)佐貫(京都)長谷川(東京)藤原(岡山)村田(長野)山口(石川)和田(高知)の十人である。 元六が他に二人もいたのが心強かった。 やがて、新入生が加わり新生五寮が船出した。 船長である寮長は藤田さん、副寮長は浜田さんだ。 かく言う私の部屋は部屋長北川さんと部屋っ子が宮沢と杉本の四人部屋だった。 部屋中には部屋中の仕事がある。部屋っ子の教育係である。しかし、彼らは割と寮生活にはすんなりなじんだ方だと思う。 部屋っ子が二人いると楽である。二人いる事によってある程度負担が軽くなるからだろう。 そして部屋っ子も楽だが上級生も楽である。
まず、財団の理事長が校長を兼務しているが、それでは運営に支障が出る。そのため、校長にあたる役職として主事がいた。 教頭にあたるのは副主事である。主事は我々の学校の前身である専門塾第一期生で、財団の理事も兼務しておられる上田先生 という方であった。大変話のおもしろい方で、先生の講話は眠くならずに聞く事ができた。 当時は芝生公園の東側に天井の低い小講堂があってここで聞いた記憶がある。 先生には男のお子さんがおり、たまたま我々の一級下だった。 彼は主事先生の子供さんであると言う理由から陰では、主事ガキと呼ばれていた。 副主事は久野先生という方で生物を担当されていたが、生徒達には、名カメラマンとして、親しまれていた。 先生に撮っていただいた各行事の写真は、今も各自のアルバムで輝いていると思う。 両先生はお亡くなりになってしまったが、想い出はいつまでも残るだろう。 我々の五寮の寮担任は木村先生だった。剣道部の顧問でいつもスポーツ刈りの頭と眼鏡の奥の穏和な瞳が印象的だ。 先生のお宅は西部住宅の団地にあり、報告などでたびたびお邪魔した。 当時幼かった子供さんも既に大きく成られたことだろう。
その後懐かしくていろいろな人物を誘ったが、そのゲームを知っている者はなかった。 あの当時何故、あのゲームが流行ったのだろうか? 『ナポレオン』はかなり高度なトランプゲームで通常4人でゲームするのが最も楽しい。 簡単に云うと絵札を如何にたくさん集めるかであり、ナポレオンチームとそれを阻止するチームの闘いである。 ジョーカー1枚を加えた全ての札を使用してゲームするが、まず5枚ほど残して等分に配る。 手の内を見て、切り札の種類と10から上の絵札20枚の内、何枚を集めるかを宣言する。 次に特定のカードを持っている者を副官に任命する。通常オールマイティー(スペードのA)か正ジャックまたは裏ジャックを任命する。 その後、残してあった5枚を拾い、不必要な5枚を捨てる。 切り札がハートだとハートのJが正ジャック、ダイヤのJが裏ジャックになる。 出たカードすべてが同じマークだとセイム2と言って2が最も強くなるが、これより?の方が強いとかいろいろ複雑なルールがあったと思う。 だが、今となっては記憶が怪しい。 任命したカードが後から引いた5枚のカードの内に含まれていることも、運が悪ければある。 その場合頼りにしていた副官の分も孤軍奮闘しなければならなかった。(こんな場合でも川島は悠々とパーフェクトを達成していた。) このゲームで川島の右に出る奴は居なかった。 また逆に、その5枚のカードの中に指定した切り札が含まれており、より強力な手の内になることもあった。 しかし、今になると二年、三年と同じ寮、同じ面子で過ごしたので、似たような状況が次々と浮び、まるでジグソーパズルのようだ。
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