先生はまだ留学先のイギリスから帰ってこられたばかりで、向こうで生まれた娘さんがまだ赤ちゃんだった。 上の二人の息子さんの名前が我が家と同じ呼び名で、順番が違っているのでしっかり覚えている。 モイチ、小林と同じクラスになった。 まアこの頃には入学時の成績は過去のもので、進級程度は無事できるかな?って成績になっていた。
学費や寮費それに毎日の食費は両親が払い込んでくれているが、小遣いは指定の口座に振り込みで貰っていた。 お金を引き出すためには寮担任の許可が必要であったが、先生方はいつでも快く許可してくれた。 学用品や参考書等もその中から購入する。 小遣いは間食と日曜日の暇つぶしに消えた。アメ横などは良く出かけた。 この頃、柏の駅前にそごうができた。都内一辺倒だったのが、柏市内で時々日曜日を過ごすようになった。 『まるい、まるい駅のそば』の丸井はそれ以前からあったような気がする。 有元と丸井にでかけ『HANGTEN』のサマーセーターを買った事を鮮明に覚えている。 他に何を買ったとか、一切記憶にないのに不思議だ・・・・ 懐かしくなって有元に連絡した。昔と変わらない声が聞こえてきた。 部屋中時代について、他にはそれほど強烈な印象は残っていない。 同級生との親交を深める期間とでも言えるだろうか。 部屋っ子時代は用事でも無ければ出かけなかった他寮にも行くようになった。
もう一人、小林が一緒だったような気もする。今となっては朧気な記憶しか残っていない。 松阪市内という事だったが、迎えに来ていただいた親父さんの車は山へと向かった。 山肌に沿った道をさらに渓流をのぞみながら上っていった。 谷を見下ろす窓を開けると、爽やかな風が吹き込んでくる位置に大上の家はあった。 澄んだ水が冷たい谷で、一緒に泳いだりして楽しく時を過ごした。 その後、親父さんに食べたい物があったらと聞かれ、つい『松阪牛』と口に出てしまった。 松阪肉の高名さを知るにつれ、突然の押しかけ訪問者が口にする言葉でなかったと、後悔している。 今でも極楽とんぼだが、当時は輪を掛けた世間知らずであった。
三人の生徒が倒れ、二人がそのまま還らぬ人となってしまった。 何事も起こらなければ各自の心に楽しい思い出として残ったはずであった。 秋の行事も終え、寒波の到来にもまだ少し間があるという時期に『断郊競走』は実施された。 『断郊競走』というのは学校周辺に幾つかのチェックポイントを設け、地図を頼りにタイムを競うのだ。 部屋単位で参加した。走る早さは部屋によってまちまちだったが、走る速度よりコースを間違わないことが最大の課題だった。 地図を見て効率の良いコースを考え、チェックポイントを通過していく。 地図で見ればごく近所なのに今まで目に触れたことのない、近くて遠い場所だ。 こんな所が近所にあったのかと新鮮な驚きの連続であった。 生徒達は日頃、距離は短いとはいえ、毎朝のランニングは欠かしたことがない。 健康管理には気を配っていた。また、とりたてて、そのタイムを競うものでもなかった。 私たちの部屋がなんとかゴールインできた頃、ニュースが入り始めた。 三年生の女子、同級の女子、一年の男子が倒れ、救急車で運ばれたというニュースだった。 みんなが無事を祈ったが、同級生は助かったものの後の二人は還らぬ人となってしまった。 一年の男子は部の後輩で、素直な子だった。若くして逝った彼らの冥福を祈る。
私の悪友の一人に小林いう男がいる。彼とは馬が合って、二年生の時に同じクラスになったのを期に心の許せる友人となった。 彼には兄貴が二人おり、長男である私が知らない事を良く知っていた。 彼と時々、学園のはずれにある納骨堂の周りの森などで、つまらない悪戯をしていた。 その一つが煙草であった。ある時、彼が懐に隠していた煙草を出してきた。フィルター部分が空洞になった煙草で『青葉』だった『若葉』だったか。 私の親父は酒も煙草もやらなかったので、家では煙草とは縁が無く、私自身煙草など一生涯吸うこともないと思っていた。そのせいもあって、その時は断ったように思う。 ところが夏に帰省し、中学の同級生である友人の家に行くと両親公認で煙草を吸っていた。 私の好奇心の扉は"みんながもう始めている"というKeywordで開いてしまったようだ。 間の悪いことに自宅に戻ると棚には、両親が出席した結婚式で貰ってきたLong PEACEがあった。 自分の部屋でこっそり試した私は、軽い刺激と共に口から出ていく少し紫がかった煙を見ていた。
しかし、酒を飲んだことをしっかりと覚えているのは、部屋中時代のことである。 三年生が卒業されて、物置を整理しているとそこに小さな包みがあった。 卒業記念の品だったのだろうか、その箱の宛名は副寮長の名前だった。 その包みを振ると液体の波立つ音が聞こえた。その瞬間中身が想像できた。 たぶん気の早い地元の方が、副寮長に差し入れたものに違いなかった。 高校生にそぐわない贈り物に困惑した副寮長が、処分に困って物置に隠匿されたに違いない。 いまさら、お届けする迄もあるまいと頂戴することにした。(浜田先輩、失礼いたしました。) 中身は案の定酒だった。黒い豪華なボトルに入った芋焼酎であった。 夜になり、部屋っ子がベットに就く頃、小林を誘って試飲会が始まった。 薬用アルコールで温めながらのお湯割りだった。 飲み付けないアルコールに少量でできあがってしまった。 しかし、芋焼酎があれほど旨いとは知らなかった。
ホーローコップにぬるくなったお湯と焼酎を入れ、アルコールの蒼白い炎で燗をした。 何回目の宴であったろうか、少し酔いが回った私は、何かの弾みで火のついたアルコールをこぼしてしまった。 アルコールは飛び散り、火は自習室の机の上や突然の来訪者からの目隠しのために吊したシーツに走った。 机の上の火は間を仕切るアクリル板にまで広がった。 正直、あわてた。部屋の天井には火災報知器が付いている。鳴り出したら大事だ。 その場は、懸命の消火作業で何とか事なきを得た。 こんな連中がごろごろいるのだから、事件が起こらないはずがない。 飲酒、喫煙は20歳なってから始めましょ! |
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